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400年前に日本人がベトナムに住んでいた!?

1986年にベトナムでドイモイ(刷新)政策によって、外資の導入が急速に進みました。

その結果、多くの外資系企業がベトナムに参入し、外国人が移り住むようになりました。

同様に、日系企業も参入し、オフィスのそばには日本食レストランが立ち並ぶようになり、さらに日系企業もそこに造られたことによって、現代の日本人街が形成されました。

 

現在の日本人街は歴史的に見ればつい最近できたものです。

ドイモイ政策前までベトナムは最貧国の一つでどこの外資も参入することはありませんでした。また、ベトナムの従来の社会主義政策によって国際社会からは閉ざされていました。

しかし、約400年前にベトナムに日本人街があったことはご存知でしょうか?その日本人街は、ベトナム中部のホイアンにありました。

かつての日本人街について、この記事でご紹介したいと思います。

 

 

 

日本人街形成の経緯

江戸時代初頭に江戸幕府の朱印船貿易によって、東南アジアをはじめとした諸外国との貿易で、多くの日本人商人たちが各所に駐在していました。

日本から近いベトナムにも多くの日本人が住み、特にホイアンは、海港都市で、古くから貿易の拠点となっています。

2世紀から17世紀ごろまで繁栄していたベトナムの古代文明、チャンパ王国の時代からその伝統は引き継がれていました。

 

 

日本人街の名残

このホイアンの町にかつては日本人街がありました。

現在ではその町並みはなくなってしまいましたが、現存するホイアンの家屋には日本式建築を取り入れたものも残っています。

特に日本色が残る建築物をご紹介します。

 

日本橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホイアンの有名な観光地に、『来遠橋』、別名『日本橋』という橋があります。

16世紀末に着工された日本橋は、その時期にホイアンに移住した江戸時代の日本人商人が、建設の指揮を執ったといわれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこの橋の中には小さな寺があります。

海運の交易地であるホイアンにとって、天候の良し悪しは重要なことであったたため、天気を操ることができるという神を祀り、貢物を差し出していたといいます。

また、橋の両端に猿と犬の石像があります。

この理由について2つの説があり、1つ目は、申年に日本橋の着工が行われ、戌年に完成したため。2つ目は、申年か戌年に生まれた天皇が多かったためともいわれています。

 

 

谷弥次郎兵衛の墓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代の鎖国政策によって、ホイアンに住む日本人に対して、帰国命令が出されました。

谷弥次郎兵衛という日本人は、命令に従い帰国を余儀なくされましたが、ホイアンに残した愛する恋人に会うために再び移り住みこの地で亡くなったといわれます。

彼の名前が刻まれた墓はいまだに残されています。